大西くんが撮ってくれた私。八戸。
蕨、高円寺からそのまま八戸、と続いて、藤沢に戻り、阿佐ヶ谷から越谷、そして大久保。今日でやっとちょっとひと段落。ずーっと藤沢から出ないで海と家を往復してるのも大好きだけど、最近こうして自分の体をぶんぶんとあちこちへ飛ばすようにするのも好きになった。というか、ついていけるようになった。拡散している私とここにいる私、両方ともそのままに、常にずーっと流れ出していくような感じ。その中で、一人でいたり、誰かといたり、私も誰かもあまねく遍在していて、うたうことも今までよりもっと好きになってきている。歌う感覚が変わってきている。よろこびもかなしみも一緒なんだなあと、うたの中では思えるようになった。
今朝は見たことのないような黄色い空全体の光で目が覚めた。少し遠くで雷が低い音でごろごろ鳴り続けている。台風。雨が降って、虫が鳴いていて、今日はおやすみなのに結構車が通る。雨が弱まると、虫の声がさらに聴こえる。鳥も。オレンジや赤の傘が通り過ぎるのを見るのが好き。窓を開けると、湿気の粒々のしんと冷える感じがして、私の部屋の床がペタペタとしてきて、寝具を足の甲で触ると、冷えてしけった感じがする。台湾の冬を思い出す。傘は眺めているぶんには赤やオレンジが好きだけど、さす時は透明がいい。傘の下から、透明のビニール一枚向こうの、雨の世界、曇り空、ポツポツという音、濡れもせず感じられるあの不思議な気分。外が明るい時間の、歴然とした曇り空は好きだ。
今日は書類仕事の日。ずっとブログが書きたいと思ってたのに、やっぱりそう思った時に書かないと通り過ぎてしまうね。でも八戸でのことはもう一度思い出したい。細かいことはもう書かなくてもいいなと思うけど、書いておきたいのは、私はエレガントな人間性というものに触れたと思ったから。そしてそのことに非常に深く救われた。今そう感じているよりもっと深く、私は救われているんだと思う。魂とか精神の優雅さみたいなものが、その人にはそう言われてみればいつもふんわり漂っている。私はそのことになんとなくしか気がついていなかったけど、まるで自分が不当に罰されているような不合理にすっぽり入ってしまっていた時、音も立てずに、まるで美しい馬の精がそこにいるみたいに、私が倒れて傷つく前に、その人の精神がもう守ってくれていた。このような出会いがあるんだね。友情。祝福されるべき人。願わくば、私の歌が、大きな祝福への呼び水のひとしずくと、きっとなれますように。