変わる

今日も晴れ。毎日晴れ。右側の窓ガラスがまだ曇っていて空の色がぼんやりとしか見えない。今日もうっすらした青。

 

今日もパキラの前に座って、なんの気なしにため息が出て、すると手前の方の葉っぱが何枚も何枚も、茎ごとみんなしてざわざわと揺れだして、茎が落ち着いて見えても葉っぱの半分くらいはしばらく細かく揺れていて、私は驚いてしまった。自分のため息なんてこの広い世の中では意味も影響もホコリほどもないものだと思ってた、というかそんなことを考えてみたことさえなかったのに、たかが私のため息のせいで、私の大事な小さな木の上の方の3分の1もがしばらく揺れ続けて、ごめんと言ってみてももう遅かった。

 

昔、ニューヨークの友人まきちゃんと、イーストビレッジからハーレムへ向かうバスの中でおしゃべりしていて、

「会社の同僚が横の席でめっちゃ大きいため息、ッハアアー、ッハアアー、ってつくねん。もう『あんたのため息で風邪ひくわ』って速攻言ってやったわ」

と、半分怒ったような半分笑ったような顔つきでまくし立てていたのを思い出した。この発言は、ため息の同僚とその周りの席の人たちに随分ウケたらしい。まきちゃんは大阪出身で、まきちゃんの英語もやっぱり大阪弁だった。ため息で風邪引くなんて本当におもしろいこと言うなあ、まきちゃんは、とその時私はケラケラ笑ったけど、今朝のパキラをみて、こりゃあ本当にパキラが風邪を引いてしまう、引いてもらったら困る、とあわてた。

 

風を感じると神様がいるみたいな気がする時がある。気持ちいい時もそうだけど、寒い日に吹く冷たい風の厳しい時や、さみしいような時もそう感じる。

 

川でも公園でも、水辺にはよくベンチが置いてあって、そういうベンチに座っていると、風が吹いて、横に座る人の髪が揺れるのが見える。風は見えないけど、見えない風が私の隣の人の髪を揺らし、じっと座る人のただ髪の毛だけが揺れているのを見て私はみんな孤独だなという気持ちになる。その人も私も、私たちの形は、静かに風が吹けば揺れて、変わる。

樂園

今日もいい天気。冬ってこんなに毎日いい天気だったんだっけ。冬が穏やかな季節だと今まで感じたことがなかった。暖冬ということなのかな。ブラジルもオーストラリアも随分燃えてしまった。

 

台湾にもうすぐ帰るし台湾文学でも読んでみようと思っていろいろ物色していたら、ある本について書かれた文章を読んでものすごく動揺し、息を吸うのも吐くのも苦しくなった。どうしていいかわからなくなって、とりあえず立ち上がってベランダの外を眺めると、外の景色すらいつもののんびりした感じが無くて、暗いと感じた。畑の横の道を小学生くらいの男の子たちがが五人くらいで歩いてくるのが見えた。いろんな色の服を着ていた。別に目が合ったわけでもないし、彼らにとって向こうのマンションの窓のその向こうでひょっこり立ち上がる私なんてただの風景の中の点に過ぎないのだが、なんでだか、私には外の世界と合わせる顔がない気がして座り込んだ。じっと床に座っていると背中の後ろで通りを車が通る音がして、その重く低い音が近付くたび、私の心臓の音がどんどん早く大きくなってくる。

房思琪の初恋の楽園。

房思琪的初戀樂園。

どうして自分がこんな風になってしまうのかわからない。まだ本を読んでもいないのに。でも私はあの台湾の本に書かれている空気を吸ったことがある気がするのだ。ただそれだけ。何が起きたというのだろう。私の身には似たようなことすら起きたことがないはずなのに。そうだったのだろうか。椅子に座って息を吸っていることさえ苦しくて辛い。しばらく床の上でじっとした後、部屋の外の空気を吸おうとキッチンへ向かうドアを開け、ベランダへ出て、植木鉢の大文字草の新芽たちの横で枯れたまんまになっていた古い葉っぱをいくつかむしり取って、キッチンのゴミ箱に捨てた。花や土や植物が頼りになるということを、この本の主人公ぐらいの年齢の頃、私は知らなかった。本や音楽や街に出ることを好んでいた。母は空いている時間のほとんどを庭で過ごしていた。

 

今朝も、いつものように、部屋のすみのパキラの前に座って、なんだか涙が流れてきてしまった。これもどうしてなのかわからない。以前も同じこのパキラの前で、私は葉っぱや茎が成長しているのをただ眺めながら呼吸を数えていたはずなのに、みるみる泣き出してしまった。そういう自分が嫌だと思う気持ちは昔からある。かといってどうしようもないし、変わるわけでもない。どうせ変わらないならもっと堂々と泣いてればいいのかな。アフリカでは、堂々号泣していたら警察が集まってきてびっくりしたことがあった。ちょうど海辺で泣いていたので、自殺するんじゃないかと勘違いした近所の人が通報したのだ。一体何があったのか自分でもわからないが、何かにつけて、つけてなくても私は泣く。小さい頃からそうなのだ。父が脳梗塞を起こした後入院していた病院のリハビリ室で、年配の男性たちが数名、皆でおいおい泣きながらリハビリしているのを見てギョッとしたことを思い出す。「脳梗塞やるとみなさん涙もろくなるんですよ」と、看護師さんだったか、どなたか患者さんの家族だったか、言われたのを覚えている。恐ろしい光景だった。私もあんな感じだ。泣きながらリハビリしながら生きてるみたいだ。

 

昨日は都立大Jammin'で、小牧さん、明未ちゃん、吉良くんとライブ。1stセットが楽しかった。マイケル・ジャクソンの好きな曲、小牧さんのアレンジで歌ってたのしかった。音を出してみてすぐに小牧さんがどんなことしたかったのかわかった。みんながすごかったな。みんなのすごいのに圧倒されて終わった。こういうライブがもっとできたらいいなあ。マスター、バンドのみんな、来てくださったみなさま、本当にどうもありがとうございました。

 

今日は立春。日曜日のSTAXワンマンライブの中身をいろいろ考えたいから、モールにでも行こうかな。モールのあの感じの中をうろうろしていると、自分なんてなんでもないという気分に包まれて、妙に心がやすらぐ。モールみたいな安っぽいやすらぎが不思議と一番心安らぐ時があって、なんとなく今日はそんな日だという気がする。本屋さんでは『房思琪の初恋の楽園』を探しちゃうだろうか。こんなこと書くから探しはするだろう。でもさっきより少し丈夫になってるからたぶん大丈夫。

 

先月末、もうかれこれ10年近く愛用していた何でもたくさん入るカバンが壊れた。カバンが壊れる前にすでに、気に入って使ってたお財布も壊れた。お財布の方は去年買ったばっかりだったんだけど。でも代わりのカバンもお財布も、モールで買おうという気にはならないんだよなあ。いくら心安らいでも。

振り返る

2月になった。節分。

昨日早朝ゆみちゃんと何とはなしにおしゃべりしていたら、去年ニセコで一緒に温泉に入った感じを思い出した。翔くんとゆみちゃんと三人で行った湖、ビキと四人で行った湖、今頃全部深い雪の中かな。知床の海には流氷が来ているのかな。寒いときの北海道に行ってみたい。

 

1/31

レッスンの仕事で千歳烏山へ。今回も生徒さんにまた夕飯をごちそうになり、本当にありがたい。

食事をいただきながら、話の流れでなんとなく「普段料理とかされるんですか?」と生徒さんに尋ねたら、全く思いも寄らなかった答えが返ってきて、声が出なくなってしまった。そのまま食事を続けながら、その方は「人生いろんなことがあるからね」とおっしゃって、このよくあるフレーズがなんとすさまじい一切をくるんでしまう言葉なのか、私はただ茫然とするしかなかった。それからまた少しいろんな話をして、バス停まで送っていただいて成城までバスに乗り、私は電車に乗って帰る前に少し時間がほしくて、駅ビルをうろうろと歩いた。この駅ビルに特に興味を持ったことはなかったけど、こういう時はありがたかった。ここを行き交う何もなかったような顔した人たちも、みんなそれぞれいろいろあるのかもしれない。あるのだろう。素敵なものが並ぶお店でカラフルな小さな花がたくさん詰まったガラスの瓶を眺めて、母へ誕生日プレゼントの代わりに何かお土産が買えないかなと探した。母は誕生日がわからない。一応、この日かこの日かこの日、という候補日がいくつかあるのだが、「絶対にこの日だった、私がその証人だ」と言い張る人たちがそれぞれの日にいるので、おばあちゃんは母に説明しながらやっぱりどの日だったかわからなくなって、「山にカレンダーがなかったでしょ」という一言でいつも話が終わった。誕生日のわからない母にとって誕生日ってどんなものなのかな、と思う。どうせわかんないしどうでもいいよ、もうこんな歳だし、と母は言う。

快速急行というものに乗らなければ、小田急線でもそんなに混まず、けっこう快適に帰れるとわかった。やっぱり各駅停車っていいな。ぱっとしない駅ほど味わい深く、降りる人たちの顔を見ていろいろ想像する。

 

2/1

長い長い1日だった。ほぼ24時間起きていると、最後の方はまるで時空がぐにゃりと曲がるような、特に時間の感覚が不思議になってくる。でもいい日だった。

午後は大塚、先日ばったり会った太光くんと、太光くんは私にピアノを、私は太光くんに英語を、というクロスオーバーレッスン。レッスンと言っても、太光くんが4月台湾でピアノのレッスンを英語でする予定があるとのことで、その前にまずは私が練習台になり、そういう状況を想定した英会話レッスンをしてもらえないか、という話。しかしピアニストと並んでピアノを弾いてみると、私は本当にまあ呆れるほどピアノが弾けない。太光くんには、テクニックとかじゃなくてアイディアだよと言われて、それもそうなんだろう。そのアイディアが出てこないと私のようなテクニックのない人は本当に、ピアノの前に悲惨が座って弾いているみたいなことになる。でもそれでもピアノを触れてうれしい。やっぱり木のピアノとその響きが好き。太光くんは、6年前私が誰もミュージシャンの友達もいない東京に来て、最初にできた友人の一人だ。太光くんが The Way You Look Tonight をゆっくりのバラードで、伴奏の小さなアイディアたちを私にもわかるように弾いて見せてくれて、私は隣に座って、それをよくよく聴きながら、それがよくよく聴こえるように、小さな声でそーっとメロディを歌った。

夜は神泉でライブ。レインボーカントリーという初めてのお店に翔くんに呼んでもらって、そこがレゲエと泡盛の店で、ライブが始まるのもお客さんが集まるのも遅いと聞いて、なんだかもうそれだけで楽しみにしていた。私は最近早寝なのだけど、でも夜を楽しむ人たちが集まるお店はそうでなくちゃね。終電の時間で夜がデザインされるなんて嫌だなと東京にいるとよく思う。そういえば太光くんや小牧さんや明未ちゃんやゆりちゃんや友人たちと出会ったイントロのセッションも終電関係なしの場所だった。レインボーカントリーのライブは、NYから来日中のドラマーのデルと翔くんと私の三人で、全く何も決めない、曲順もセットリストも今日何をするかも誰も知らないライブ。翔くんがお店の名前から即興で作った曲に私がコーラスをして1stステージを始め、三人でジャズやポップスや台湾の民謡やいろんな曲を演奏し、そのステージが終わってお客さんが集まってきたところからが本番。そこにいる人、お客さんも含めてみんなで楽しむということを本当にみんなでする。翔くんが突然私の知らない誰かの曲をカバーし始めて、私がシェイカーを振りながら1番を聴いている間、お客さんで曲を知ってる人が歌詞を検索した画面を私に出し、2番から私はその歌詞を見ながらコーラスで入る。ノッてきたお客さんたちは一緒に歌う。デルは日本語がわからないので、何が起きているかなんとなく感じ取っているという感じなんだろう。でもドラムセットの代わりに持ってきたウォッシュボードで繊細かつ的確な演奏をしてくれて、とっても安心感がある。朝までみんなで喋ったり歌ったり笑ったり、途中でお店のきよしさんが三線で本格的な沖縄民謡を弾いて、お客さんのみきちゃんが歌ったり、私が自己流で歌ったりもした。朝方にはDJのジーくん(名前間違えてたらごめん!)が次々と素敵な曲をかけて、女の子たちがゆらゆら踊った。もうクタクタだったのに、ゆみちゃんの車に乗って、目を覚ますと浅草で、ゆみちゃんがモーニングしたいと言って私も一緒に喫茶店に入って、気がついたら3時間以上経っていた。心配した翔くんからゆみちゃんに何度も着信があったのに、二人とも気付きもしなかった。あの3時間はなんだったんだろう。どういう風に経っていったんだろう。ゆみちゃんの顔の上を、眩しい朝の光とその光が作る柱の影が、少しずつ横へ移動していくのを向かいの席から眺めてはいた。びっくりしたまま浅草駅まで送ってもらって浅草線に乗り、電車が京急にいつの間にか変わって地上へ出て品川を通り、青物横丁のあたりから少しずつ高い建物が減っていって、薄い青い空が広くて気持ちよく、大きな富士山がずっと私の右側にあった。今にもあちらこちらで木の枝のつぼみが花開いていくのが見えそうで、私の座っていた窓際の席も足元からぽかぽかしていて、私はやっと眠たくなって、このまま三崎口までうとうと乗っていけたらなあと思いながら、横浜に着き、乗り換えて、藤沢に着き、乗り換えて、自分の駅で降りると、駅前で餅つき大会をしていた。白い雲に混ぎれて白い半月が見えた。