みーちゃん

朝に雨が降ったのか、地面が濡れていて、向こうからシャーと海の音が聴こえる。今日も明日も夜が遅くなりそうなライブなので、少し今朝はゆっくり起きた。当たり前のことだけど、天気は毎日違うので毎日感動があって、朝ゴミを出しに外に出るのが楽しみになった。こういう楽しみが東京にいる時は全くわからなかった。ゴミ出しなんて面倒でしかなかったし。鼻に入る空気の水分の含んだ感じを味わっていると、遠く上の空をとんびが一羽、ゆっくり羽ばたきもせず通り過ぎていく。

今日は曇り。雲の少しの灰色の濃淡がベランダの窓いっぱい横にのびてきれい。曇りは曇りでいいものだな。晴れた日にこういう空を見ることはできない。雲の奥に光があるのがわかる。私の部屋の白い床が雲の向こうの太陽の遠い光を反射している。

 

昨日は成城学園前のクオバディスというカフェ&ギャラリーに、小池アミイゴさんの花の絵を見に出かけた。本を読みたかったのに本を持たずに電車に乗ってしまったので、人のブログを読んだり、寝たり。私の身体が高速で平行移動し、私は寝ていると思っている。どういうことなんだろう、と思いながら、自分の乗っている電車の車両を空想の中で取っぱらって、自分の身体が空中を東に向かう突風に乗りすっ飛んでってる様を思い浮かべてみたりする。

 

ギャラリーでは詩人の平岡淳子さんがみんなに飲み物や食べ物を出してくれて、白い壁に飾られたアミイゴさんのコスモスや長い名前のデイジーや他にもたくさんの花が、座って話すNAOKOさんの後ろに並んで、それを眺めてるだけでとてもいい気持ちになった。音楽ではできない素敵なこと。先に着いていたNAOKOさんと聖華さんは二人とも白っぽい暖かそうな服を着て座っていた。冬もいいものかもしれない。NAOKOさんが首に巻いてたマフラーのようなもの、花のようにきれいだった。淳子さんにCLIPという詩集をいただいた。2ヶ月に一度、自分のパソコンで作って印刷して出して、第102号。TAKE FREEと書いてクオバディスの本棚に並べていて、ああ私もそれくらいのことができるようになりたい。103号の出た頃またここに遊びに来てみたいな。

 

10年前いとこの心蕊が撮ったみーちゃんの手。10年前、心蕊は二十歳で、私は30で、母は50代で、みーちゃんがいた。

 

お隣さんのベランダから子どもたちの歓声が聴こえて、私の窓辺にもふわふわシャボン玉が飛んできた。

 

そろそろ支度して今日も成城へ。夕方からブールマンで志宏さん、ファルコン、卓ちゃんとライブ。私歌わなくてもいいじゃんと思うけど、歌っちゃうと楽しいからなあ。お会いできる方はまた今夜。そうでない方はまたいつか。今日もどうぞ暖かくして過ごしてね。

またパキラ

昨日の高円寺の記憶がほとんどない。みんなと楽しい時間を過ごした後の、あの満足したような疲れたような感覚はある。昨夜は今度こそ終電に乗りたいという気持ちが妙にあって、帰ると言ったらえこちゃんが何も言わずコートを羽織って一緒に駅まで走ってくれて、なんかすごく嬉しかった。えこちゃんはいつも一緒に駅まで走ってくれる。えこちゃん大好きだよ。名前まで好き。みなさんどうもありがとうございました。みんな今日も元気にしてるかな。STAX FREDはまた31日に出演します。ライブ後にみんなで近くのお寺に鐘つきに行くんだって。楽しみだな。そういえば中村さんにCDを渡すタイミングを逃してしまった。

 

記憶がないと言ったけど、もうちょっとじーっとしていれば結構思い出せそう。ケイくんの顔や、中村さん、KAZさん、ハチさん、田口さん、のいろいろ、少しずつ断片的にチラホラと浮かんできている。

もう少し若い頃まで、私は本当に嫌になるくらい記憶が細かく、特に人の顔と名前は絶対に忘れなかったし、その人がどんな時どんな風に振舞っていたとか自分の見たものを全然忘れられなかった。でもみんなあんまりにも何も覚えていない風にしているので、そうか、世の中の人同士お互い覚えていないふりをして、また一から接していくのがひとつの作法だったのかと思って、「えーどうだったっけ、覚えてないや」とか言って過ごすようにしていた。細かなことをひとつひとつ思い浮かべながら。なのに最近は思い出せないことがそれにしても随分多くて、まるでどんどん不思議な世界に入っていってるような気分だ。ここをずっと歩いていくとどんな世界に着くんだろう。

 

昨日と同じパキラの木の前に座っていたら、今朝も、記憶の底の方から、亡くなった人と呼んでいいのか、いろんなことが少しだけ違っていたら会うことができた、大事な存在になったかもしれない、でもいろんなことが違っていたらそもそもその人の存在はなかったかもしれない人のことが頭に浮かんで、思いめぐらせて、気が付いたらハラハラ泣いていた。私は母が40の頃どんな風だったっけとぼんやり考えていたんだった。母はすごく綺麗だった。時々一緒に電車に乗ると、母があんまりにも綺麗で美しく光り輝いているので、総武線で向かいの席に乗り合わせたおじさんが、あの人はもしかしたらそれまで母のような美しい人を見たことなかったのか、母のことをずーっとじーっと、まさに不躾な目付きでいつまでも見ていて、私はそれにものすごく腹を立て、母の横からそのおじさんに向けて、有らん限りの力を振り絞り、全力を込めて睨んだ。あれは母が40よりもう少し若かった頃かもしれない。でもママは今だってすごく綺麗だ。

 

美人という言葉と beautiful という言葉について考えていた。母はすごい美人なんだけど、ママのことを美人と言う時、いつも少し申し訳ない気持ちがする。そんな小さなものにしてしまってごめんという気持ちなのだ。beautiful だったら、木だって、空だって、海だって、鳥だって、この世界の全てのことなのに、美人なんて、たった人間の女性だけのことにしてしまって、ママをそんな風に小さなものにしてしまってごめんね、って思う。

 

今日はライブない日なので少し気持ちもゆっくりしている。

成城のクオバディスというカフェギャラリーに、大切な友人とお世話になった方に会いに、その方の描いたお花や首里城や台湾の柚子(日本語では文旦)の絵を見に行こうと思う。今日も晴れていてうれしい。晴れているってこんなにすごいことなんだね。こうやって毎日書くようになるまで、たった空が晴れているだけで自分が毎日こんなにしあわせになるのだとよくわかっていなかった。

パキラ

冬はいくらぽかぽかでも早起きが難しくて、今朝もベッドでごろごろ。昼寝もしたいのにな。もう出かけなきゃ。


今日は家の前の大家さんの畑で大根を売っている。

駅に着くまで、ウェットスーツのままサーフボード積んだ自転車をこいで海に向かうサーファーと2人すれ違った。そうよね、と思ってぐるぐる巻きにしてたマフラーを外してみた。やっぱりぽかぽかだね。日向を歩いてればマフラーなくても大丈夫。


今朝、部屋の隅に置いてるパキラという観葉植物の前に座って、こんなにすくすく伸びてる立派できれいな葉っぱを果たして剪定しなくちゃいけないものか、どこから切っていいものだろう、とじーっと考えていたら、ふと、中高の同級生がアメリカで水難事故で亡くなったというのを思い出した。あんまり久しぶりの名前だったから、先日別の同級生と食事をしてる時に彼女の訃報を聞いてもよく飲み込めなかった。苦しかったね。ごめんね。心よりご冥福をお祈りします。また来世どこかできっと会おうね。

     

自分で曲を書いて歌いたいと思ったことはないし、ましてや自分の家族の歌を書こうなんて思ったこともないのに、今年に入って急にいろいろ書くようになって、さっき、はとこのパオパオの歌もできた。たぶん。アル中のおばさん、知的障害のあるホンイー、若くして自殺したおじさん、大好きだったおばあちゃん、そしてチンピラで目の見えないパオパオ。日本語で詞と曲両方自分で書くなんて3歳の時以来(「ケーキ屋さんになりたい」という曲、よっぽどケーキが美味しかったんだろうな)のことで、こんな風に曲を書いて歌うようになるは思わなかった。3歳のえりちゃんにはお見通しだったかもね。

     

と書いていたら、おじいちゃんの歌のフレーズが浮かんできた。「酔っ払ったら日本兵〜」ってブルース。どうかな。


もうそろそろ新宿に着く。外が暗くなって寒くなってきた。上原の高架から見える夕焼けの色が淡い。マフラーまた巻かなきゃ。

この後新高円寺でさっそくパオパオの歌うたってみようかな。

   

ぽかぽか

今日も昼間はぽかぽか。窓全開にしてもあったかかった。年末。太陽ってすごいね。少し陰ると風がとたんに冷たくなった。

 

昨夜は秋葉原 CLUB GOODMANで鬼怒無月弾きっぱなし。みんなでわいのわいの楽しかった。年に一度ああいうイベントがあって、みんなで一年の終わりを感じられるっていいものですね。鬼怒さんありがとうございました。共演者のみなさん、お店の方々、お客さま、みなさんどうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。

 

秋葉原に行く前、イブの日の本番前に駆け込んだ餃子のミンミンにお気に入りの赤い水筒を置いてきてしまったことに気が付き、四谷に寄って取りに行った。ミンミンのおじさんが私の水筒にしっかり「12/24 忘れ物」と付箋を貼ってレジ横に保管しておいてくれて、しかも、もしやと思って水筒を開けてちょっと中身を舐めてみたら、まだ飲めた。2日前のコーヒー+牛乳+はちみつ+シナモン。2日経ってもおいしかった。ミンミンありがとう。また行くね。餃子食べたい。餃子大好き。餃子ってそういえば台湾では大晦日に食べるね。水餃子だけど。ああ水餃子も食べたい。

 

中学生の頃英会話教室に通っていて、その教室の面白かったのは、行くと毎回担当の先生が違ったこと。全部でおそらく10人くらいの先生が在籍していて、交代で担当してくれるのだけど、先生の出身地はオーストラリア、イギリス、アメリカ、アメリカでもハワイ、とかいろいろ。人種も白人、黒人、アジア系、インド系などなど、訛りも喋り方も様々で、その日どの先生が自分のクラスに来るのかは行ってみないとわからない。私はカリフォルニア出身アジア系の若くて明るいキャシーという先生が結構好きで、クラスが始まる合図のベルが鳴り、教室のドアが開いてキャシーが入って来るとなんとなくラッキーな気分になった。キャシーは今思えば典型的カリフォルニアのアジア系女子という感じで、黒のストレートさらさらロングヘアをかきあげて「最近気になる男の子いないの?」と授業中、東京の地味な女子校に通う地味な制服の私に聞いたりして、キャシーのそういうところが私は嫌いじゃなかった。

 

ある日キャシーは教室に入ってくるなり、

"Do you like gyoza?"

と私に聞いた。餃子は好きなので、たぶん "Yes, I do," とでも答えたのだと思う。するとキャシーは机にパンと両手を置いて、天井の方を大きく見上げるとゆっくり後ろに反り返り、

"I love gyoza."

と言ったのだ。ラブの「ラ」を思いーっきり引き伸ばしてゆっくりと。英語を習いたての13歳の私は、Loveって、餃子もloveすることができるんだ、餃子のこともloveしていいんだ、愛せるんだ、愛していいんだ!となんだかすごく感動して、家に帰って母に早速そのように報告した。

 

13歳の私って何を愛していたんだろう。当時住んでた荻窪の家で飼っていた秋田犬のさぶちゃんはまだうちに来ていなかったし、猫のみーちゃんが来たのははもっともっと後、私たちが台湾に戻ってから。父や母に対する深く自然であたたかな情感を愛しているとか love とかいう言葉で言い表せるのだと教えてくれる人はいなかったし、自ら愛していると表明できるようになるにはまだまだ幼稚な心で「そもそもお父さんとお母さんは愛し合っていないじゃないか」と憤慨していた。そうだとして、そんなこと関係ないのにね。何を愛してたんだろう。通っていた中学校の古い校舎の建物、住んでいた家の外壁の古びたクリーム色、少し苔っぽい屋根の赤みがかった色合い、13歳の誕生日に母がくれた赤いセーター、お小遣いで買った全音のドビュッシーの楽譜、アラベスク、ピアノの先生がくれた、小さな飾りのたくさんついたブレスレット。小学生の時ママがくれた陶器でできた白鳥の形の置き物。小花柄の布でできた淡いピンクの丸い小銭入れ。思い出せるのはそんなものだろうか。餃子も愛していいんだと知って、私は何か変わったかな。

 

さて今夜は国分寺でジャズスタンダード歌います。愛の歌ばっかりだよ。

久しぶりの人

クリスマスも終わり、窓の向こうに見える富士山が裾野の方にかけてまた白くなってきた。

 

この間のホメリのライブでは、お客さんに一人外国の方がいらっしゃり、あんまり話せなかったけど、お店を出るときに彼は手をあげて、出口のドアからこちらを振り向くようにして大きな声で "Merry Christmas!" とみんなに向かって挨拶をした。そうだったね。そういえばそうやってみんなで挨拶し合ったっけなあと思い出して、でも私から同じような声は出なかった。なんとなく笑って手を降った。クリスマスを素直に祝えるような心持ちではなくなってるのかもしれない。それでも祝いたいという気持ちはあって、藤沢駅改札すぐの神戸屋に寄ってシュトレンを二本買ってホメリに持って行って、みんなで食べた。それだけのことなんだけど、よく会うお客さんやはじめて会う人、久しぶりの友人やお店の人と一緒に夜、あたたかい部屋でコーヒーやワインと一緒に焼き菓子を食べるのは、今一緒に生きていることをささやかに祝福できる大切な時間だった。ライブが終わるともう遅いので、お客さんは半分くらいすぐに帰ってしまって、一本だけ切ってもらって残ったみんなで分けた。もう一本は今年もお世話になったアルジに。よく寝かせてゆっくり食べてね。そういえばオーブンがほしいと去年から思ってたんだった。どこに置こうかな。

 

時差もあるのでちょうど昨日の夜あたり、アメリカの友人たちから、メリークリスマスのメールが届いた。懐かしい人たち。メールがなかったらきっと連絡を取ることもなかっただろう。住所のわかる人にはクリスマスカードを送ったかもしれないけど、そんな風に連絡を取ることと取らないことの差もよくわからなくなってしまった。カード届くと嬉しいのにね。その人の字や、切手を貼った手、カードを閉じて封をした手。車を停めて郵便局の窓口へと歩いて出しに行ったのか。そんなことを想像しているだけで、コーヒーが冷めるまでぼーっとしてしまう。今年は誰にもカードを書かなかった。遠くのいろんな友人たちのことをいつも思い出して考えている。ただそれだけで今年は終わった。

 

ライブハウスやカフェなどで歌うのを主な仕事としているので、自分の手帳に書いてある予定の半分くらいの「何月何日何時どこに行く」というのを公開していることとなり、なので時々、私としては手帳通りに行動しているだけで、思いもよらない懐かしい人が会いに来てくれることがある。先日の吉祥寺バオバブのライブにも、おそらく10年ぶりくらいになる友人が「えりー会いに来たよ」とふと現れた。20代の頃台湾で付き合っていた彼氏の親友の当時の彼女。こう書くと随分薄いつながりのようだけど、それでも人のことって忘れないもので、その彼氏と別れても彼女のことをなんとはなしによく思い出して考えていたし、だいたい麻布十番の商店街を、アメリカンアパレルに白いスカートを買いに行こうと歩いていたら、近くのカフェで仕事していた彼女が休憩しに外へ出てきて、私の目の前から坂道をすたすた下りてきたこともあったんだった。あのスカートはどこに行ったんだろう。たぶんそのバッタリから10年ぶりなんだけど、こうして会ってみるとそう久しぶりでもないような感じで、それは私がよく彼女のことを思い出していたからなのか、彼女も私の知らないところで私のことを時々思い出してくれてたからなのか。「変わらないね」って言い合ったけど20代、30代、40代と過ごしているのだからそんなはずはないのだし、変わらないのは何なのかな。私たちがもっと老いたら、もっと時間が感じられるほど久しぶりだと思い、会っていない時間の分だけ私たちも変わったと思うだろうか。

 

クリスマスも終わると年末。ひいらぎから南天へ。

リハーサルに出かける前に、玄関に飾るお花を買ってこなくては。

The Good Life

たまには夜更新。メリークリスマス。

私のクリスマスディナーは蒸したじゃがいも。ゆで卵。ツナ。オリーブオイル。塩コショウ。赤ワイン。

あーよく休みました。

 

一人でとる質素な食事がどんどん好きになって、いつもおいしいもの食べたいという気持ちがあんまりなくなってきた。「おいしいものばっかり食べてるといやになってくるじゃないですか」と適当なラーメン食べながら誰かが言っていて、確かにそうだな、と思ったことがあった。

 

不思議なもので、パソコンの前に座って何か書こうと思うと、ここではない場所のことをよく考える。普段生活していてニューヨークのことなんてほぼ全く考えないのに、数日前に昔の写真引っ張り出してきたからか、ニューヨークの地下鉄車内に張られていて好きだった詩を思い出した。当時(今もかな?)NY市交通局 MTA が Poetry In Motion という企画をしていて、車内に詩とその詩に添えられた絵の小ぶりなポスターが張られていた。英語もネイティブではないし、当時の私がその詩から何を受け取っていたのか自分でもよくわからないけど、Tracy K. Smith という私より5つくらい上の詩人が書いた The Good Life というその作品が私はとても好きで、地下鉄に乗って、たまたま空いた端っこの席に座って真横にその詩があるととてもうれしく、何度も頭の中で繰り返し読んで味わおうとした。添えられた絵はどことなく素朴な感じで、芝生の上に生えた豊かに葉をつけた木が左側に、その右側には煉瓦造りのアパートがあって、緑色のドアの玄関前の階段には女性同士のようにも見える黒人と白人のカップルが並んで腰かけ、気持ちよさそうに寄り添っていた。

 

 

The Good Life

 

When some people talk about money

They speak as if it were a mysterious lover

Who went out to buy milk and never

Came back, and it makes me nostalgic

For the years I lived on coffee and bread,

Hungry all the time, walking to work on payday

Like a woman journeying for water

From a a village without a well, then living

One or two nights like everyone else

On roast chicken and red wine.

 

Tracy K. Smith

 

 

 

私はこの詩を手帳に書き写して、自分の部屋に帰ると何度も読んだ。なぜだかわからないけどとても心が温まって、時々手帳のそのページを開いては声に出して何度も読んだ。久しぶりに今また読んでみたよ。

クリスマスプレゼントの代わりにみなさんにも。ローストチキンはないし、ワインも飲んじゃったけどね。

平安夜

ああ今日は太陽がいっぱいいい天気。

メリークリスマス。クリスマスイブだね。台湾の実家の方ではみんなもっとお祝い気分だろうな。うち一応クリスチャンなのです。とはいえ台湾原住民クリスチャンなので、ちょっと独特な部分もあるけど。礼拝もタイヤル語だし。クリスマスといったらお正月みたいなものなのかな、クリスマス前にはみんなこぞってパーマをあてて髪を染めたり、赤い晴れ着を着たり、着せたり。

 

昨日は吉祥寺バオバブライブの後なんとかダッシュで終電に乗って帰ってたら、一本前の電車で人身事故があり、止まってしまった。2時20分くらいまで途中駅から動かず、居合わせたみなさんと電車の中でぐうぐう寝た。みんな翌朝も早いんだろうな。疲れてたし眠かったけど、とても切なくもあった。この人身事故というのは本当に毎日どこかであって、こんなにあると、なんだろう、もうこの社会そのものがあちこちで自爆テロをしているような感じだ。昨日の夜死んだのはどこのどんな人だったんだろう。せめてどうぞ安らかに。

 

しかし夜遅いと寒いし疲れるね。3時くらいに家に帰りついて、コートのまま、ぼーっ。小田急線のみなさまもお疲れ様です。3時まで電車を走らせて。

 

朝起きてもも頭がまだまだぼーっとしているので、「お風呂かごはん、どっち?」となんとか自分に聞いて、「ごはん。」今朝もやっぱりお味噌汁。和食が好きとか特にそう思ったことはないけど、お味噌汁だけは大好きで、自分で作るのが好き。何入れてみてもおいしい。大きな大きな白菜をいただいたので、今朝はお鍋に白菜を芯から敷き詰めて葉っぱ部分をうず高く盛って、だしをちょっとかけて、ベーコン切ったのを白菜の隙間に少し挟み込んで、蓋閉まらないけどとにかくかぶせてしばらく火にかけて、白菜から水が出てきてふたがぴったり閉じたあたりで中を見て、足りないぶん水を足して、ことこと。具が煮えたらお味噌を溶いて、今日はなんとなくポーチドエッグ食べたかったから、ボウルにお味噌汁よそった上に卵のせてできあがり。

 

というわけでごはん終わったし、お次はそろそろお風呂タイム。

お風呂のあとは支度して四谷三丁目。今日はホメリでファルコンとDUOライブです。昨日のライブでマリナちゃんとたひさんがケーキ持ってきてくれたのが嬉しかったから、私もケーキ持って行こうかな。みんなで食べよ。少しでも平和にね。

 

写真は台北の家のベランダに今咲いているお花。母がfacebookにあげてたのを転用。ちょっとクリスマスカラーっぽい?

どうぞみなさんもよい一日を過ごしてね。

平安夜、聖善夜。

星はひかり。

昨日も帰り道、星がきれいだったな。夜道にうかぶみんなの家のお庭のみかんも。

まとめて日記

ちょっと日があいちゃった。冬の間はもともと大してないキャパが一気に落ちて、何よりもお布団にくるまって寝てゴロゴロ休んでいたい。でも早寝早起きはやっぱり好きだな。私も変わったもの。

昨日は冬至だったね。寒くて雨だったけど、今が一番底でこれから上っていくんだって思うと、そんなに辛くなかった。二度寝の夢の中で「えりちゃんに強いおばけがついている」と言われた。

 

12/20金曜日、鵠沼海岸の福祉施設・亀吉でオープンマイクのホストだった。ご近所の音楽好きの方を中心に何人かで集まって、あみだくじで順番決めて、順番にステージに上がって各自出しものを、ってただそれだけなんだけど、私はいつも感動して、みんなすごいなって本当に思う。この間はよく遊びに来てくれるご近所さんが「曲も書くんですが、コード楽器が弾けないので」と言って、自作の詩を朗読してくれた。朗読してくれたのは、生きるということについての三編の詩。簡単じゃない人生を何十年も生きてきて、その生きるってことを言葉を連ねてなんとか表現して、その言葉を、自分の声にして読んで、自分の外に出すって、ものすごいことだと思った。自転車に乗って、電車に乗って、車に乗って、そういうことをしに来てくれる人がいて、それを一緒に座って聞く人たちもいるんだから、オープンマイク細々続けていくのもいいもんだなと思った。

生きる、と言えば、今朝の私は二日酔いで、二日酔いってものすごいパワーなんだとしみじみ思っている。二日酔いの時って「生きる=二日酔い」で、全ての悩みが二日酔いに飲み込まれ、自分が二日酔いであると一分一秒常に感じていて、逆に言うとそれ以外のことを大して考えられない。こんなにすごいんだっけね。

 

翌日12/21土曜日はリハがあって朝から東京へ。

ここ数年、年末はいつもこの高円寺のスタジオで鬼怒さん弾きっぱなし(今年は12/26)のリハがある。鬼怒無月弾きっぱなしというイベントは出演人数も多く、このイベントでしかお会いしない方たちと一年ぶりに挨拶をして、もう年末ですね、とかなんとか、なんだか親戚のおじさんちの集まりみたいな感じ。精神的に確かにそんな感じなのかも。

ご飯を食べる時間がなかったので、ほっともっとで白身魚のフライの入ったのり弁買って、車の中で食べて、夜は代々木公園のレストランFONDでディナーライブ。友人の紹介でここのお店で年に何回かライブしてるんだけど、シェフの石原さんがとっても面白く、お会いするのがいつも楽しみ。FONDの常連さんたちがいらっしゃって、石原さんの作るごはんを食べながら、最後の石頭歌では大盛り上がりに。それにしてもここ毎日石頭歌を歌っているな。毎日違う人たちとみんなで歌えるせいか、毎日歌っても飽きないから不思議。ここ何年歌ってるんだろう。今夜もきっと歌うよ。

 

12/22日曜日、昨日はお昼から調布で最後のレッスン。生徒のみなさんありがとうございました。お教室スタッフのみなさんもありがとうございました。日本に戻ってきて結構すぐにこのレッスンの仕事を知り合いづてに引き継ぐことになり、それから昨日までずっと通ってくださった生徒さんたちもいて、何年も一緒に同じ部屋で歌をうたってきた人たちがいて、とってもありがたいことだった。長い生徒さんたちと最後に少しお話する時間も持てて、それもありがたかった。

最初はいろんな発声練習みたいなこともしたけど、そうじゃないな、ってある時から思って、ボイトレという名のもとに、ほとんどただ一緒に歌うというレッスン。教える立場に一応あったわけだけど(エリ先生!)私にしてみたらそんな感じではなく、みなさんからいただくものがいつもたくさんあって、来てくれたみなさんに心から感謝しています。歌は死ぬまで歌えるから、また一緒にどこかで歌おうね。

レッスンのあとは駆け足で新宿21世紀へ向かって、TOKYO FREE ZONEというイベントでライブ。新宿21世紀って店名がすごく好き。内装や雰囲気もその名に違わぬいい感じ。電飾ビカビカ。電飾ってなんでかわかんないけど、私にとって絶対善みたいな、健康と毒の両方のいいとこ取り合わせて光ってるみたいなとこがある。やり過ぎてくれればくれるほど好き。対バンのみなさんは小平智恵さん以外はじめて。とっても楽しかった。出番ギリギリに着いたので聴けなかったバンドがあって残念だったけど、うすらび、ミックスナッツハウスの林良太さん、それぞれ素敵で、楽しくてついつい飲みすぎた。小平さん大好き。小平さんの力に乗っかって演奏して楽しかった。電飾だし赤のビロードのカーテンだし。

 

さてはて。今朝は日記めいたものを書きました。

電飾のこと考えてたら、私の今まで見てきた中でもっとも電飾の激しい店にやっと行けてとてもとてもうれしかった7年前の日のことを思い出して楽しい気持ちになったので、その写真をば。こんな写真撮ってもらったことも、このお店で食事したことも忘れてたけど、数日前、facebookが「7年前の今日あなたは・・・」って引っ張り出してきて思い出した。2012年12月20日の私。ニューヨークのとあるインド料理屋さん。天井から隙間なく吊り下げられまくった赤と緑のトウガラシ型の電飾がビカビカ光り輝いている合間に、そのビカビカを四方八方へもっともっと反射させてる螺旋形の色鮮やかなセロハンがぶら下がって、壁はミラーのタイル、椅子とテーブルクロスは赤。このお店と双子みたいな同じようにビカビカのインド料理のお店がその通りには数軒並んでいて、どれでもいいからすごーく入ってみたくて、ある日ついに入った。めまいしそうに満足な時間。ごはんも確かおいしかった。

 

今夜は吉祥寺バオバブで辻村マリナちゃんとライブ。パーカッションのたひさんも。昨日のTOKYO FREE ZONEにマリナちゃんも以前出ていたみたいで、つながるね。

二日酔いもそろそろさめてきちゃった。お味噌汁飲んでこよう。飲んだ後のお味噌汁ってなんて美味しいんでしょうね。

みなさんもどうぞよい1日をね。寒いけど少し太陽が出てきたよ。

手仕事

昨日はおやすみでたくさん寝た。ずーっと空が灰色で天気があまりに寒々しくて。冬はそうなっちゃうな。

お昼寝とお風呂をはさんで、ちょっと練習して、よく寝ました。

 

午前中4時間くらいかけて丁寧にドラム式洗濯機のクリーニングをしていただいて、その間に部屋でCD&小冊子せっせと作った。

こうやって手仕事ができるっていいもんだな、と思うと、端午節になると母とおばたちが集まってみんなでちまきを作ってた姿が思い浮かぶ。竹の皮、白花肉、もち米、ピーナッツ、干し椎茸、干しエビ、そんなものをおば達がそれぞれ持ち寄って、うちの台所にわらわら集まっては、ギャーギャーおしゃべりしながら、洗って、切って、蒸して、炒めて、三角に包んで、最後に紐でしばってぶら下げる。もちろん私たちタイヤル族には漢民族の食べものであるちまきを手作りして食べる伝統などないので、我が家に代々伝わるレシピのような素敵なものもなく、平地人の家に嫁いだおば達(ほぼ例外なくいじめられた)や、都会に出てきて平地人たちと暮らす中でちまきを覚えたおば達による、複合レシピだ。なんで作るかと言えば、美味しいから。そしてたぶん、みんなで集まって一緒に作るのが楽しいから。私はおばにくっついて来たいとこ達と一緒にぷらぷら遊んでいるが、いよいよちまきを包んで紐でしばってあの三角の形にするという段階になると、私たちもおば達のおしゃべり声のする台所へ行って、まずおしゃべりに混ざり、「包んでみる?」と声をかけてもらうのを待って、包ませてもらう。同じように包んだちまきでも、包んだ人によってなんとなく格好が違ったりして、誰のが一番形が整ってるとか、この妙なやつは誰が包んだんだ?とか、出来上がったちまきを並べてみんなで品評するのもそれだけですごく楽しくて幸せだ。包むのが一番下手でもしあわせ。本来なら私も、台所でちまきを作っておしゃべりしながら姪っ子甥っ子を迎えているような年齢なんだな。

 

ずいぶん時期外れなことを思い出しちゃった。ちまき。ではなくCDの話だった。

自分で作って、封筒に入れて、一言お礼のお手紙書いて、郵便に出して、届いた人からありがとうと連絡があって、というのがすごくうれしい。みなさん本当にありがとう。またCD作りたくなっちゃったよ。2つあるのよ、案なら既に。自分宛に企画書でも書いてみようかな。

今回のCDには私の家族についてのうたが2曲あるんだけど、その歌詞を印刷しながら冊子を作っていたら、また別の家族メンバー、私のはとこパオパオの歌がひょいひょい口をついて出てきて、あとひとふんばりで新曲できそう。俺の歌はどうしたんだよ、まだないのかよ、とつっつかれたのかも。

 

今夜はうちの近所の鵠沼海岸にある福祉施設「亀吉」でオープンマイクでホストしてます。ちょっと入りにくいかもしれないけど、誰でも来ていいんだよ。楽器演奏したい人も、歌いたい人も、何するわけじゃない人も。今日は私もいるので、伴奏必要な方には心ばかりの伴奏します。すでに連絡くれたみなさんありがとう。歌いたいとか楽器演奏したいとかっていいよね。私も歌いたい。みんなにも歌ってほしいし、自分ももっと歌いたいから、ピアノももうちょっと習ってみようかなと時々思う。今のところ思うとこで止まってるけど。

 

お花に水もあげたし、そろそろお昼ごはんの仕度でも。今日はぽかぽかで気分もいいな。どうぞみなさんもよい一日をね。

ハチロー

昨日のライブ、来てくださったみなさまどうもありがとうございました。

私はあくまでファルコンレコ発ライブのゲストということだったので、ちょっと歌ったら後ろの方で大人しくしてお酒でも飲んでるつもりだったのですが、平塚 Wood Shop ではサンタナでの Wood Shop音楽祭も入れたら5回くらい歌ってるのかな、すっかり馴染みの顔となったお客さんもいて、とっても居心地のいい場所になって、ついついアンコールされるままにいっぱい歌ってしまった・・。調子に乗ってしまってごめん、ファルコン。

 

マスターとママとその周りの人たちのこと、会うたび好きだなあと思う。

最後に残った近所のお客さんたちと、すぐそこのけいちゃん家に施されたクリスマスのイルミネーションをみんなで眺めて、屋根に向かってハシゴをとっとこ上ってくサンタさんの速度が遅くなったり早くなったりするのを見て「サンタは疲れるんだ、ほらまた遅くなった」とか「あ、今ちょっと休んだからほらまた早くなった」とか「いや、これは全部私たちがこうやって見てる間だけのことで、あのサンタ、私たちが店の中に戻ってったら絶対休んでてハシゴなんて上ってないよ」とか、そんな話をケラケラとした後、「あの家に帰るのか」とけいちゃんがぼそっと呟いてお家に帰っていくのを手を振って見送って、私たちも御開きとなった。

 

8月最後の土曜日、Wood Shop音楽祭の時にマスターがギターを弾いてママがオカリナを吹いた「悲しくてやりきれない」があれからずっと心の中に聴こえてる。 

どんな歌詞だったっけ、と思って今検索してみたら、ものすごかった。

こんなうたが流行ったのか。やるせないモヤモヤ。限りないむなしさ。もえたぎる苦しさ。

こういう本当のことを口ずさんで心をなぐさめることができたなんて、この曲が流行った時の人たちはよかったな。私もあとでピアノに座って歌ってみようか。

 

気になってこの曲の作詞したサトウハチローのことをちょっと調べてみた。子どもの頃、あれは母と日本に引っ越してきた最初の年、「ちいさい秋みつけた」を金町の駅前にあるエレクトーン教室で習って、すごく好きで、ずーっと何度も弾いては歌ってた。ミラシドミー、って始まるあのイントロをまず右手で、そして左手で同じフレーズを山びこが応えるように。楽譜の右上に書いてあった作詞・作曲者の名前の、作曲の方は覚えてなかったけど(今見たら中田喜直だったんですね)、作詞の方は、名前全部カタカナだし、最後の文字伸ばし棒だし、ドロップとかトローチの仲間のように見えてすぐに覚えた。そしてまたここで出会った。

 

大変な人だったんだな。育った家庭環境から大変だったようだけど、でも彼がまだ10代の若い頃、家族の外にとっても信頼できる大人と深く交流できていたみたいで、それはすごく大きいことだったんだと思う。世の中がやるせないやるせないモヤモヤの中にあるように思えて、掴めないそのモヤモヤをよーく覗いてみると、そこは限りないむなしさで満ちていて、その中で救いを探し求めてみても苦しさがもえたぎるばかりで、空が輝いてても、雲が流れてても、森の中で風を感じていても、悲しくて悲しくてやりきれないということが変わることはない。それでもたった一筋、この世の中のどこかに信頼みたいなものがあって、そこを掴むことができたら、せめて歌詞にして、うたにすることができて、それを自分に許すことができて、それってものすごいことだ。そういう信頼はたった一筋あればいいんだけど、でもそのたった一筋がないと死んじゃう。

 

お花にお水あげなきゃ。外が晴れてきた。

この頃は朝が暗いし、起きてすぐ水あげるとなんだか冷たそうだから、ちょっと日が差してくるまで少し待ってるんだけど、それでいいのかな。「お湯にしようか?」って聞きたくなる、って、前に友人のまみちゃんが言ってたな。

 

写真は Wood Shop音楽祭のリハ後、平塚駅の周りを散歩した時のもの。歩道橋に草がぼうぼう生えて向こうまで続いてて、なんかそれが嬉しかった。

バリーが90歳

小雨から一気に晴れてポカポカ。腰に貼ったホッカイロがあちち。

 

一昨日、12/15は Barry Harris 90歳の誕生日。

90歳だよ。すごい。感動。

この間具合を悪くして入院したと聞いていたので心配していたけど、知人のfacebook投稿で、毎年恒例バリーの誕生日パーティの様子がアップされていて、感動しながら見ている。ああこのガヤガヤとした祝祭感。挨拶する人々。元気そうだね、調子よさそうだね、そっちもね。そっちもね。顔。顔。手ぶり。腕。声。声。音楽。

 

感動するところがいくつもいくつもあって、そのことを書きたいんだけど、もうそろそろ今夜のライブの準備をしなくては。

バリーが、いつものように、ピアノに座ったリチャードにGm7を弾くように言って、イントロが始まって、いつもの歌をクワイヤーメンバーが、いつもの歌を、みんなで歌ってる。上手くても下手でも歌ってる。ビブラートがやたらびろびろでも、ピッチが悪くても、高い声が出ても出なくても、みんなの声の響きが合わさって、歌うんだよ。ビバップを。ハーモニーを。リズムを。魔法になるから。本当に。

こんなにいいものだったんだなあ。泣いちゃう。

バリーおめでとう。私の永遠の先生。先生って呼んでいいのかしら。

歌って何なのか、音楽って何なのか、知ってる限りをあんなに真剣に教えてくれた人はいなかったから。

誕生日パーティの動画は Johnny O'Neal が出てきたところ。これは今夜帰ってきてからのお楽しみにしようかな。

 

今夜は平塚 Bar Wood Shop。

ファルコンのソロアルバムレコ発ライブ、ゲストで歌ってきます。私のCDも持ってくよん。

バリーにまた会いにニューヨークに行きたいな。ちゃんと自分の歌をうたって。

台北の家

毎日ほんとに寒くなっちゃった。

家に帰るのについ下を向いてステステ歩いてしまうけど、ふと空を見ると星がすごくきれいだ。でもやっぱり寒いんだよなあ。

 

お正月、台湾にちょこっと帰ります。

母や親戚が年に最低1度は日本に来るし、facebookも親戚の投稿だらけなので、もうちょっと帰ってるような気分でいたけど、なんともう3年も帰っていなかった。近いからいつでも帰れると思ってたのに。

 

3年も帰ってないのはいつ以来だろう。

25の時以来のような気がする。

3年も帰ってないのに自分の家だと思っている。リビングに射してくる光、ベランダを裸足で歩く時の少し冷たいタイル、玄関の大理石はもっとひんやり冷たくて、台所の窓からのそよ風、床をスリッパがすたすた鳴らす音、誰かが帰ってきて鉄の門扉がかちゃりと閉まる音、玄関のドアが開いてドアに吊り下がったウィンドチャイムが鳴るキラキラした音、おじいちゃんの歩行器の音、マンションの入り口で誰かが鳴らすブザー、マンションの前の道で古新聞を集めるトラックからの呼び声、向こうの学校から聴こえるチャイム、廊下の奥の影、もういないけど、みーちゃんの気配。鈴の音。もういないけど、台所の魔法瓶の横のピンクの椅子に腰かけて、台所仕事する母に話しかけるおばあちゃんの話し声。同じ椅子に座って、台所仕事する母に向かって大きな抑揚をつけて話すおばアイバカンのよく響く声。笑い声。母が買ってきてキッチン台の魔法瓶の前に洗って置いた芭樂、蓮霧、棗などの果物。あとで食べようと置いてある、袋のままの豆漿、飯糰、燒餅油條。そういうのがすぐに浮かんでくる。私もそこにいるような気がする。リビングの奥のピアノのところに座って。ピアノの前の赤いソファに座って。母はよく模様替えするからもうあの赤いソファは別のところに置かれてるかもしれないけど。

 

せめて写真が見たいと思って、7年くらい前かな、まだおばあちゃんが生きてた頃、アメリカから帰った時に撮った家の写真を探してるけど見つからない。当時使ってた、昔のゲーム機を一回り小さくしたみたいなころんとした形のノキアの携帯のカメラで、家の部屋全部と2つのベランダの写真を撮った。誰かがいたり、いなかったり。みーちゃんが寝ていたり。おじいちゃんがテレビを見ていたり。母の蒸かした白い饅頭が二つテーブルにあった。

 

ママが撮ったベランダのブーゲンビリアの写真。

このブーゲンビリアの下に、垂れ下がるようにして咲いている黄色い花がずっと大好きだけど、名前がわからない。家に帰る時、いつも必ず上を見上げて、あの手のひらに乗るくらいの黄色い花が咲いてるか確かめて、そして7階のブザーを鳴らして、「開門」と言って家に入るのだ。

川底の石

ほいさっさ。

私の手作りCD-R&小冊子「まだ買えますか?」といろんな方が聞いてくれて超うれしい。買えます!

買えますどころか、私が生きてる限りずっと作れるので、生きてる限り在庫あります。

みなさんから注文をいただくと、私がのそのそ動いて、CD-R焼いて、紙のケースに入れて、シールして、まずCDでき上がり。そして紙買って(もうだいぶ買ってある)、印刷して、半分に切って、針に糸通して、縫って留めたら小冊子もでき上がり。そんな、ひとりでできるもんCD&小冊子を製造・販売してます。

販売の方は、ライブにはいつも数枚持って行くつもりなので(時々忘れる)そこで直接お渡しできるし、郵送もしてます。封筒も買ってあるのよ。こちらから注文、メール、メッセンジャー、ツイッター、ここからメッセージ、電話、会った時に「あ!CD!」でも、私に連絡つけばなんでも。送るのでご住所教えてね。すでにメッセージくださった方(ありがとう!)個別にお返事いたしますのでちょっと待ってね。

 

ライブは、

17(火)平塚、20(金)鵠沼海岸(open micホスト)、21(土)代々木公園、22(日)新宿、23(月)吉祥寺、24(火)四谷三丁目、26(木)秋葉原、27(金)国分寺、28(土)新高円寺、30(月)成城学園前、31(火)新高円寺、

という感じで、今月後半は夜な夜な東京近郊めぐってます。

 

以上、みなさま宛て業務連絡でした。よろしくね!

 

昨日は夕方東京へ。

東海道線に乗るのがすごく好き。4人がけの席に座って外を見るのがすごく好き。大船で観音さまを見て、戸塚で柏尾川を見て、戸塚から横浜にかけての丘陵地で、周りはちゃんと住宅地にされてるのにそこだけ取り残されてる感じのところがあって、頑張って山削って家建ててここじゃ大して売れないしねえって思われてるのかな、っていう感じなんだけど、その丘陵地の方も「そんなの知ったこっちゃねえ」とばかりに、緑うじゃうじゃと伸び放題繁りに繁らせたぼうぼうの木々につる性植物たちがこれでもかと手足伸ばして縦横無尽に絡まりまくってて、その繁栄=ぼさぼさの緑たちの下を覗くと、特に護岸されてないし名前も付けられてなさそうな小さい川がどうでもいい感じでひょろひょろ流れてて、そこらへんまでを眺めるのが特に好き。

いつもそうやって本当に好きだなあと思いながら乗ってるんだけど、ある日、知らない男の子がすごい勢いで向こうの車両からドアを開けて入って来て、ずんずん歩いてきて私の前に立つと、

「お姉さん、この電車って平塚いく?」

と大きな声で聞いた。行くよって答えると、その日私が着ていた赤いワンピースがよく似合ってるってすごくほめてくれた。そのワンピースは大事な友人と大事なことの記念にお揃いで買った(そういうことするんだな、私って!)お気に入りのワンピースだったから、ほめてくれてとっても嬉しくて、ありがとうって思わず大きな声になった。で、男の子はまたさっさと隣の車両の方に行っちゃったんだけど、車両を移る前に、ドアの前で立ち止まってこっちを振り向いて、

「この電車ってすごくいいよね!僕この電車大好き!」

と私にもう一度最後に話しかけた。私も首を伸ばして、大きく頷いて、手を振った。

 

前からずっと行ってみたかった寄席というものへ行った。

あんなものすごいこと年がら年中毎日やってるなんて。すごい。

私ははじめてだから終始興奮状態だったけど、周りのみなさんは慣れた様子で、のんびり出たり入ったり、お弁当食べたり、ビール飲んだり、柿の種つまんで、おくつろぎ。すごいなあ。ああいう空間があったんだ。

人間ひとりそこに座って、世界の美しいこと、醜いこと、どうしようもないこと、ワクワクすること、不思議なこと、そこから色々ぶわーっと見えちゃう穴になれるんだね。そしてみんなしてその穴の前に座る。まだ一回しか行ったことないけど、同じ話をいろんな人がしたりするっていうこともすごいこと。

以前ジャズミュージシャンの友人の家に行ったら、棚の上の方にわーっとジャズのCDが並んでいて、下の方にわーっと落語のCDが並んでいて、ふーん落語好きなんだ、ってぼんやり思ったけど、寄席行って納得。よく似ていたんだ。

 

CD用に小冊子書いたらブログ書くのも好きになっちゃった。しばらくここで毎日小冊子しようかな。飽きるまでね。

でも手に取れる小冊子ってのはいいものですね。ブログも好きだけど。今日もちょっと作ろ。

本日の写真は鮎が噛んだ跡のついた石。誰かが長良川の川底から拾ってきたんだろうか。

野紺菊

今朝も富士山がうっすら。昨日と同じくまた少し寒い朝。

 

たくさんの方にCD欲しいと言っていただけてとってもうれしい。ありがとうございます。

手作りっていいもんですね。こんなことするの好きだって思わなかった。というか忘れてた。小学校の時のバザーで一生懸命ちびまる子ちゃんの絵描いてしおり作って売ったのは楽しかった。学級新聞も結構よく書いてたような。子どもの頃はなんだかんだずいぶんいっぱい書いた。文通クラブ入ってたし。「えりの書く話は全部、逃げて逃げて、いつもとにかくみんなで逃げる話なんだよな」ってお父さんに言われたことがあった。そうだったっけな。山が燃えて森中の動物たちが逃げる話を原稿用紙50枚くらい書いた記憶はある。小学校一年生。台北の「金太陽」という喫茶店で、父に見せた。でもこの記憶も夢とぐちゃぐちゃかもしれない。

 

原稿用紙。

父が死んで、使いかけのコクヨの200字の原稿用紙がいっぱい残った。あの緑色の枠線が10代20代の頃はあんまり好きじゃなかったけど、今見るとしみじみとした気持ちになって、いいじゃないと思う。いつも使ってたUniの独特のあずき色の、2mmの芯のシャーペン?もいっぱい残った。普通のシャーペンより全体的に作りが硬くて、普通カチカチ押して芯を出す上のところはカチカチしなくて、ちょっと押すとにゅーって太い芯がずるずるこぼれて出てくるのを紙の上に置いて止めて、書くのにちょうどいい長さに調節したら上のとこから手を離してそこでもう一回芯を止めて、ちょうど指で持つところに目の細かいやすりみたいな銀色の滑り止めがあって、書くと人差し指と中指のの当たるところがざらざら擦れて変な気分になって、親指の先でさすった。あんなものを使うって一体どんな人間だったんだろう。あれもあんまり好きじゃなかったけど、今使ったらいいじゃないって思うもんかな。

 

死んだ人と会えない人と夢で会う人といつもそこにいる人の差がわからない。体温?

 

早く朝風呂に入りたいけど午前中郵便屋さんに集荷に来てもらうことになってるからもうしばらく入れない。

 

はてさて。

今日はライブもないのでちょっとお出かけしようかな。

ゆみちゃん誕生日おめでとう。ベランダの野紺菊の写真。これは10月。今はつぼみ付けたまま冬越しの準備。

 

皆さんもどうぞよい一日をね。ああ晴れてきてうれしいな。

できたよ

半年ぶりにおはようございます。

写真は、すっかり寒くなって、一気に都内が紅葉したちょうど1週間前、打ち合わせ後日比谷公園にて。

東京が嫌になって引っ越したけど(ほんとはもっと遠くに行きたかった)

東京の懐かしい場所に久しぶりに行くと、情のような、自分の心がまだそこに倚っているんだと気付かされて動揺しそうなほどだ。この日も曇ってて寒くて、天候的には何も気持ちよさのない日だったけど、少し空いた時間を外で過ごしたいなと思った。少し乾いた、冬の日。銀杏の葉っぱが唯一輝いていて、踏まれた実は臭い。アスファルトの舗道を歩いていると、やっぱりここから引っ越してよかったとふと思った。臭かったからじゃないよ。なんとコチコチに固まった地面なんだろうってびっくりするほどコチコチに感じて。

 

2年前に出したトリオのアルバムが、ふと見ると在庫も尽きてきててびっくり。当たり前だが在庫って永遠ではないのね。売るものがない。これもまたびっくり。

そんなわけでついに重い腰をよよっとあげて、自分のピアノ弾き語りCD-R作りました。録音は5月の私のはじめての弾き語りワンマンライブ@STAX FREDより。中村さんお世話になりました。ありがとう。遅くなっちゃった。これからもよろしくお願いします。

 

CD-Rのみライブ会場で先行発売=見切り発車してましたが、買ってくださったみなさま、ありがとうございました。おかげでお尻に火がついて、本当に作ったよ。小冊子。読みもの入れますと言うだけ言ってまだ何も書いてもなかったけど、試しに売ってみたら売れてしまって、お金もいただいてしまって、こりゃ大変と思って作った。こんなものを作らせてくれて、本当に皆さんありがとう。

 

何か読みものとかついたCDにしたいなっていうのは前のアルバムを作った時もぼんやり思っていて、でもなんでだろうね、あの時はできなかった。そういうのできる自分が思い浮かばなかった。今よりずっと暇そうだったのに。はじめてのCDだったし、いろんなことでいっぱいいっぱいだったのかな。そういえばあの頃まだ笹塚に住んでた。

そしてこの度やっと実現。家で日々ちまちまやれば実現できることだったんですね。

パソコンで少しずつ書いて、紙買って、プリンターで印刷して、揃えて切って、揃えて縫って、製本できあがり。楽しい。こういうの手首から先運動っていうんだっけ。こういう作業は心が落ち着く。このお正月は刷って切って縫って、みなさまの元にお届けしたいと思います。

 

しかし思ってたのと全然違うのが出てきたから、何か作るって面白いね。どんな顔したどんなやつが出てくるのか、産んでみようか、産んでみたいな、と思って、ふんばって産んで、出てきて、あらまあ、ってなるまで自分でもわからないこといっぱいだったし、それからまたちょっと寝かせたり、あちこちちょっと整えたりして、そしたらまた少し育ってきた。いろいろ不恰好なんだろうし、間違ったままのとことかあるし完璧には程遠いけど、いいものだなって思った。これはこれでいいんだね。

 

というわけで今朝もそろそろ手首から先運動してきます。まずはコーヒー淹れて、はちみつシナモンと豆乳。

みなさまもどうぞよい1日をね。寒いからあたたかくして。Have a beautiful day!