今月はライブが少ないからたくさん海に行けてうれしい。海に関してはルーティンが決まっていて、夕方くらいになったら一旦作業をやめて、徒歩か自転車で海に向かって、途中コンビニでビールかワインを買って、海に着いたらタオルをひいてからまず泳いで、そして本を読みながらゆっくりお酒を飲んで、日が暮れたら帰る、それだけ。大してお金もかからないから(ビール代くらい)毎日でもできるし、そして毎日このようにしていると、本当にしあわせな状態になる。かつて私が20代の生きづら女子だった頃、Happiness is a state of mind って友人に言われて、こんな状況下にある私にそんな坊さんみたいなこと言われても、と思っていたけど、あれから15年以上かけて、やっとそういう state of mind の中に自分を入れてあげられるようになった。海のおかげ。浜辺で本を読んでいて、時々ふと顔を上げると、目の前にある世界があんまりにも圧倒的に美しくてびっくりする。しばらくそうやって胸を打たれたまま、特に何を考えるわけでもなく、ただ、はあーってなって、ぼーっと海とか空とか雲とか眺めて、そういうのを繰り返している間にだんだん日が暮れてきて、パキッとした光の強い青い世界が、とろーっと、世界中全部とろーっと包むみたいにピンクっぽくなって、いろんな境界線がとろとろしてきて、昨日はそうやってうっとりするほどとろとろしてきたところで、ふと回りを見たら、いつもよりちょっと人が増えていた。少し暗くなった中を子どもがはしゃぎ声を上げながら走ってきて、ちょっと離れたところにはポータブルソファでワイングラスを傾けてる女子3人組がいたり、またちょっと離れたところには夕焼けの方に向かって並んで座る夫婦が、みんなちょっとずつお互いから離れて居場所をつくっている。 いつも波打ち際ギリギリのところに大きい椅子を出して、そこに座って本を読んでいる人がいる。遠目からしか見てないけど、もじゃっとした髪で、私なんかは誰がどう見ても「私、海に行くんです!」という格好で海にいるんだけど、このもじゃっとした人はいつもちょっと厚着で長ズボンで、海感が全くない。そんな感じで波打ち際ギリギリに座っているので、すごく目立つよなあと思っていたら、その人はいつの間にかいなくなっていて、その代わりにというわけではないけど、飲みものや食べ物が入ってそうなバスケットを持った子ども連れの人たちがまた少し増えて、半月がきれいに光っていた。 帰りにFUJIスーパーに寄ると、例のもじゃっとした人が買い物カゴを持ってそこにいた。あ、と思ったけど別にどうというわけでもなく、のんびり売り場を回って、お会計が666円で、自転車に戻って鍵を開けて、さあ行こうと思ってスタンドを蹴ったら、ドーンと花火が上がる音がした。 「今日7時から茅ヶ崎の花火なんだって」 と話すサーファー二人組が私の横を通り過ぎた。私も早く帰ってベランダからちょっとでも花火を見ようと思って、花火の音を聞きながら自転車をこぎ、家に着いて、先日友人が持ってきてくれたワイン(これは私が前に彼女の家へ行った時に買って行ったもの)の残りをグラスに入れて、ベランダへ出た。ベランダから見て斜め右の方に、直径20cmくらいの、赤い大きなハートが上がった。お隣さんのとこの子どもたちもベランダにいるみたいで「見えるよ」「でもちっちゃい」とか言っているのが聞こえる。さっきスーパーで買ったお花をいけなくちゃと思い出して、一旦部屋に入ってとりあえずお花を水につけ、ワインを注ぎ足してもう一度ベランダに出る。花火はポンポン上がっていて、うちの周りはとても静かで、虫の声と時々通る車の音だけがしている。大きな大きなくす玉みたいな、大体どの花火大会でも最後の方に上がる花火が上がって、「あ、これで終わりだ」「もう音しかしなくなった」と隣の子たちが言い、カラカラと戸が閉まる音がする。一日の終わり。私も部屋に入って、ママに電話する。LINE越しに大きくなった愛之助を見る。また作業の続きをしてみるけど、しあわせすぎるのかワインが効いてるのか仕事にならない。あーもういいや、と思って寝っ転がる。こういう時間が若い時の私にもあったはずなのにね。いろんなものがこんなにも調和していている時間があって、奇跡と呼ぶのか幸福と呼ぶのか、そういう時間が必ずあったはずなのにね。