掰掰肉

STAXでのライブの後、友人の家に泊めてもらって、久しぶりに朝のテレビの音を聞いた。友人夫婦ものんびりできる朝だったのか、シャキシャキしてる朝の感じじゃ全然なくって、友人はテレビの前のラグの上でごろごろ寝っころがってるし、だんなさんの方はパジャマからパジャマとそう変わらない服に着替えて、そっか、そういえばこの人と会う時って仕事帰りでもいつもこんな服だったな、と思い出して心が和んだ。テレビではひたすら台風のニュースをやっていて、台湾や宮古島が3Dっぽい天気図に出てきて、こうして見ると台湾って大きい。那覇の空港では、なんとか東京に戻ろうとする人たちが大行列をつくっていた。

ラグの上で腹這いで寝そべっている友人が、カッと頭をあげ、開いてない目で私の方を見て、うわごとのように聞き取れない言葉を発している。

「えっとね、ポットにお湯が入ってるって言いたいみたい」

だんなさんがにこにこしながら翻訳してくれて、私はテーブルの上に置きっぱなしの昨日ビールを飲んだグラスを水ですすぎ、ポットのお湯を入れて飲んだ。このだんなさんはまるで空気がおいしいみたいないい声をしてると前々から思っていたけど、こういう時に聞くとますますいい声だな、としみじみお湯を飲んだ。

 

ドイツにも無事行って帰って来れたし、いろいろなよいことがあったから、これは神様にお礼しなくちゃなと思って、江の島へ行った。友達のこともそうだし、STAXでもそうだし、その前も、その前も。リハビリもいいみたいで、参道の長い階段がずっと楽になっている。

テレビであれだけ台風のニュースをやっていて、天気予報も雨だったし、実際すごく曇っていて、来てみると江ノ島にはほとんど誰もいない。まだ朝早かったのか、お店もほとんど閉まっていて、どこから来たのか、蛍光色ピタピタのサイクリングウェアとサングラスの人がひょっと現れて、 "Good morning!" と私に挨拶をした。そのほかはまだ若そうなかわいい三毛猫、妙に真剣なカップル1組、釣り人。貝作もまだ開店準備をしている。

 

江の島をぐるっと稚児ヶ淵の岩屋まで、森にも寄って、時々雨がぱらつきながらも無事に一周できたと思ったら、ゴロゴロと雷が鳴り、結局ずぶ濡れで帰った。ここまでずぶ濡れになるのは久しぶりだな、と思いながら自転車を漕ぎ、もう急ぐのもどうでもいいくらい完全に濡れしょぼたれていたので、いろいろ思い出しながらのんびり漕いだ。一応レインコートを持ってきていて用意がいいつもりだったけど、ここまで降ると私のペラペラのレインコートでは役に立たず、しっかり入ってきた雨が袖のたわみに溜まっていた。

こういうことが昔、まだ母が日本にいて、私たちが荻窪に住んでいた頃もあった。確か中3の夏休み、井の頭通りの三浦屋まで母と自転車で一緒に買い物に行って、その後に確かすかいらーくでお茶をしていたら大雨が降ってきた。もう少し小降りになるまで待つんだと思ったら、母が「行こう」と言った。確か母は髪が肩くらいでパーマをかけていて、ヘアバンドをしていて、黒い半袖のカットソーを着ていた。私は濡れるのは嫌だと思ったし、実際途中まで嫌だったけど、時々前を見ると自転車を漕ぐ母の後ろ姿がなんとなくうきうきしていて、それを見ながら帰っているうちに、だんだん私もたのしくなってきた。母にはきっとずぶ濡れで家に帰った思い出がたくさんあったんだろう。当時の私にはなかったそういう思い出が。ママたちが小さい頃、大体傘なんてあったのかな。母も私も、服のままプールに飛び込んできたみたいにびしょびしょになって、でも家に着くと母はすぐ母に戻って、手際よくバスタオルやらを出してきて私の世話をした。思えばあの母は今の私くらいの年で、リハビリのたび大きな鏡に映る私の二の腕は、嫌なくらい母に似ていて目がいく。掰掰肉。バイバイ肉。そんな中国語は子どもの頃には知らなかったし、その頃にはもしかしたらなかった言い方なんだろうけど、嫌味で味わい深いのがいい。