雨の時間

空がすっかり秋になったなあと思っていたら、大家さんの桜が、上の方の葉っぱが2枚、もう黄色くなっていた。風がとてもやわらかくてやさしい。

 

風のことをよく考える。風が私の輪郭をいつも教えてくれる。ここに住むようになって一番よかったのは、風のことかもしれない。海もそうか。海と風はどこか同じことなのかも。

 

大学生の頃内山節先生という人の授業が好きで、先生はよく時間のことを話していた。ぐるぐる循環しながらくり返す時間。過去から未来へと向かって真っ直ぐ進む時間。先生はすてきな声をしていて、話しながら黒板に丸をぐるぐる書いて、その真ん中をシュッと通りすぎていく長い矢印を引いた。そのことを思い出していたら、太極陰陽図、あのよく太極拳好きの人が着るようなTシャツにプリントされてる白黒の二つ巴みたいな図を思い出した。あれって、私も去年はじめて知ったことなんだけど、あの図って、静止でも平面でもなく、常に動き続けている立体の断面図だそうで、どういうことかというと、陰と陽は常に絡み合いながら(ツイストドーナツのように)回転し続けていて、ぐるぐる回転しながら、過去ー現在ー未来というベクトル方向へ動き続けていくのらしい。このことを知ってから、あの図のことを考えるたびに感動するのだけど、昨日は特に、引地川沿いの遊歩道を歩きながら、手を前に出して左右の指を回転させて、交差させて、こういうこと? と考えてまた感動していた。

 

というのも、このところ、やっぱり奇妙なことが続いている。

昨日もまた妙な日で、たった1時間くらいの間に、 スマホ、パソコン、と立て続けに目の前で壊れていった。まずは出先で iPhone がぽろぽろ壊れはじめた。それはもういつ来てもおかしくなかったというか、長年使っている初代のSEなのでだいぶ前からこうなる覚悟はできていて、早く帰ってパソコン立ち上げていろいろ皆さんに連絡しなくては、と江ノ島から自転車で急いで帰って MacBook を起動したところ、立ち上がって数分、「プスン」と音がして、画面が真っ暗になり、充電のランプがはじめて消えた。壊れた。いかにも最後の息を吐いたような感じで、ああこれはもう戻ってこないな、と思った。こういう時、今までだったら意地のように蘇生させようとした、そしてなんとかできてきたけど、なんとなく今回はもうこれで最後だな、というのがわかった。

 

とはいえびっくりして、だって私は急に誰にも連絡できなくなった。すごいこと。だって一昨日くらいには、それこそ過去が現在に絡み合いながら前進してくるみたいに、10数年ぶりの友人からメールで連絡がきたりさえしていたのだ。それがこんなにあっけなく、ついさっきまでメッセンジャーで密に仕事のやりとりしてた人とも、それこそプツッと、途切れたっきりつながりようもない世界に今私いるんだ、と思うと、たとえそれが束の間であったとしても蒸発できる世界にいるんだと思うと、ひんやりするような感覚がした。

 

引地川の遊歩道から交差点を曲がって、蔦屋の二階で新しい MacBook を買った。帰りちょっと雨が降って、買ったばかりのパソコンがなるべく濡れないように、ビニールでぴっちり包まれてるから濡れるわけないんだけど、パソコンの入った紙袋を抱きかかえて歩いた。雨は小降りで、途中ドラッグストアに寄って炭酸水を買ってお店から出ても、雨足は変わらないみたいだった。ちょっと濡らしてみたくなって、抱えてた紙袋を下ろした。雨がいいにおいがする。小学校の理科の時間で、海の水が蒸発して雲になって、それが雨になって地上のわたしたちに降る、という図をノートに描いた。本当にそんなような匂いがする雨だった。