ジャズの神様

昨日の海。久しぶりに泳いだ。波にかき回される。

15時半ごろ、作業がひと段落して、泳ぎに行こう、と思って、しまいっぱなしになっていた水着をつけて家を出る。こういう行動に出るのはほんとうに久しぶり。ああ、何か取り戻してきている、というか、もともとあった私がむくっと、少しずつ、「出てきてもいいよ」と言われたように感じているんだろう。ちょっとずつ顔を出してくれている。こういうのは見逃してはいけないな、と思った。

 

水着で出歩くのは、この辺の人にとっては普通のことだが、私にとっては大変久しぶりだった。水着のような格好と、実際に水着とは当たり前だがやっぱり違う。下着だって水着と変わらない形してるのにね。この辺の水着で出歩く人たちは、大人も子どももよく日に焼けている。私はほぼ真っ白。特に足。腕はベランダと自転車でちょっとだけ焼けている。顔も、「もっとたっぷり日焼け止めを塗ったほうがいい」と母に言われたくらいには焼けている。

 

この1週間ほど、とても不思議なことがいろいろとあった。村上春樹の『東京奇譚集』に出てくる「ジャズの神様」を思い出した。村上春樹の場合は、まさにジャズの神様そのものがいたずらしているような、でも本当に、ちょっとしたこととはいえまさに奇跡のような話で、あれを読んだら、確かにジャズの神様っているんだな、と思わざるを得ない。実際、私にもそんなことがジャズについて確かにあった。(ナンシー・ウィルソンのライブで奇跡が起きた。私のもとに。)でも今回の場合は、ジャズの神様と、あとまた別の神様たちがもう数名、どこかずーっと上の方で、どうしようもない私を見てみんなで笑いながら、「どれどれ」と、私の背中をぽーんとひと突き、そして私は、寝過ごした山手線の車内からそのままぐるぐるぐるっと、過去と現在が交錯する渦に巻き込まれるようにして数日間を過ごし、溺れそうになったところを、今度はまた思いがけないところから手を差し伸べられて、ありがたくその手につかまってするする素直に上がってきてみたらば。

今までとちょっと違うところに上がってきたような感じなのだ。同じ景色なのに。

 

 

 

今日も晴れてるから泳ぎに行こう。夏の名残り。

その前にシャワーを浴びて、郵便局へ行かなくちゃ。来月台湾の南投で開催される国際口琴祭(台湾では初の試みのよう)へ直川さんが参加されるというので、母へのお土産を託すことにした。お土産はベルリンで買ったのど飴など。母にも愛之助にも、2020年のコロナの頃からもうずっと会ってない。子猫だった愛之助は巨猫になってしまった。

 

土曜の午前中なら郵便局やってると思ってたら、そうじゃなかったみたい。前からそうだっけ。そうしたら藤沢まで出なくちゃ。そうしたらジュンク堂にも寄って、どこかに紛れて無くなってしまった『東京奇譚集』をもう一度買おうかな。そして海へ行って、読んで、泳いで、ワインクーラーも持っていきたい。ここ数日で私のもとに起きた様々なこと、まるで誰かの誕生日みたいに、全て祝福するみたいに。