友達のお家の玄関のすき間からかわいい花。
ここのおうちには本当にお世話になって、
私を招いてくれて、おいしいご飯をふるまってくれて、
そこから朝の7時まで、一緒にいろいろ音楽の届け方を考えてくれて、
出かける前にちょっと仮眠できるよう、あたたかいお布団まで敷いてくれた。
ありがとうスイートゆみちゃん。
あの日たっぷりサポートしてもらったおかげで、すっかり力をもらって、
自分の家に帰って3日間、はじめて自分で、音楽の届け方について真剣に考えて、なんとか企画をまとめることができた。
もちろん曲のアレンジや演奏の中での音楽の届け方というのは今までずっと考えてきていることだけど、
その音楽を演奏する場について、同じくらい真剣に考えたことはなかった。
よく考えたら、その空間の空気を振動させていくわけだから「場」も音楽のうち、
そういうこと考えるの好きだったみたい。
しかし下町は、というか、墨田区のあのエリアいいなあ〜。
あの辺りは唯一空襲で焼け残ったエリアらしく、昔の家々が残っているからこそ、そこでの暮らし方、人との付き合い方ごと今も残っているみたい。
台北によくいる(NYにもいた)タイプの世話焼きおじさんおばさん的人々、あのあたりに行けばたくさんいるらしい。
そうやって考えると、東京、やっぱり焼け野原になってズタズタになったんだなあ。街も、街が持ってた人の交わりも、素直な動きも。
NYだって台北だって大都市だけど、東京と比べるとやっぱり、ごく自然に人と人が交わる風景がある。
あっと思ったら「あっ」とそのまま声に出るくらいの感じで、ただちょっと吹いてきた風くらいの感じで「その靴いいね、どこで買った?」とか、
そんな会話をすれ違う人とさっと交わして、たださっと通り過ぎて行く、たったそれだけのことなんだけど、
そういう感じが東京ではほぼ全くなく、たったそれがないせいで日々なんとなく、日々ほんの少しずつ、私は消耗している気がする。
というわけで、ゆみちゃん家に行くのもライブであのあたりに行くのもすごい好き。
実際その日も、夜中2時過ぎくらいに、歯ブラシやらお菓子やら買いにコンビニに行こうと思って玄関開けたら、
ゆみちゃんの家の前で、ものすごく苦しそうにしている若い女性が一人。
「今から産みに行くところなんです」
と。
私がのこのこブーツを履いている間、ゆみちゃんはささっと側に行って、腰をさすってあげて、しっかり彼女を病院へ送り出していた。
リスペクトゆみちゃん。
私もいつかそれくらいになりたい。