散歩

夜、てのひらくらい大きなカタツムリが目の前を通って行ったと思ったら、今日は朝から大雨。雨の音を聴いていたら、久しぶりに部屋で音楽を聴きたくなって、すごいいいよと教えてもらったまま聴くのを忘れてたRalph Townerの曲を思い出してSpotifyで探してかけて、そのままずっとRalph Townerを聴いている。

 

雨は少し外と遮断されるようで好き。東京でも雨が降ってるんだろうか。藤沢の家では、目の前が畑だからか、雨が降っても少し地面に染み込んでいくような音がした。台北のこの窓からは、みんなの家の庇やアスファルトの道を跳ね返る音がする。昔この家に住んでいたからこの雨の音が好きだった。

 

家の用事で先月から台湾に帰っていて、その間に世界がみるみる新型コロナウイルスの大流行で今までと同じようで違う世界に入っていってしまった。同じようで違うのはいつものことだけど、疫病のある世界というのを私はよく知らなかった。私は台北の家のリビングでTVニュースを見ながら、世界ってもっと直接的で、遠慮がないんだったんだと感じる。ベランダの縁や木々の枝に止まった様々な鳥たちが、様々に美しく鳴いている。雨が聴こえる。本当は3日前に私は日本に戻っている予定だった。私のしにきた手続きは、私が考えていたより公的で、個人的で、政治的・歴史的でもあり、実務的にも困難だったとどこかに資料を出すたびに知り、各所から連絡があるまで私は出国足止めになった。今夜は平塚で、明日の午後は鵠沼海岸で、ライブの予定だった。こうなってみると、平塚も鵠沼も、日本が、とても遠く感じる。自分が日本のいろんな場所で、夜な夜な人前で歌っては日銭を稼いで生活してたことも夢とか泡みたいだ。

 

今後しばらくのライブ予定は、コロナウイルスと私の個人的な事情と、両方の理由で中止・延期になるものが増えると思います。このホームページや私のfacebook、Twitterなどでその都度お知らせします。出演できなくなったライブについて、「ライブの代わり」をしようと思っています。何するのか自分でもまだよくわかってないですが、こことかSNSとかで何か出していく予定。みんななるべく無事でいようね。無事っていつだって難しいことだった。

 

いつもの帰り道が封鎖になってしまった。近所の大学のキャンパスを突っ切って帰るのが好きで、家の近くに出る裏口の小さな門の横には私の好きな大きな蓮霧の木がある。売るには小さすぎる実がたくさんなって、季節になるとそこら中にボトボト落ちて、あっという間に地面が汚くなる。大通りを、図書館裏のウッドデッキにつながる小さな新しい木の門から入って、この蓮霧の木の裏門から出て家の方に抜けるのが好きだったけど、一昨日くらいまで普通にそうやって帰っていたのが、昨日にはもう正門以外全ての門が閉鎖されていたようで、正門の横で、おでこで測る体温計を持った警備員が検温係をしていて、自分で手をアルコール消毒し、済んだら置いてあるスタンプを手に押して大学敷地中に入るようになっていた。近所のスーパーで買いもの帰りの母と私の手の甲にも、黒いインクで04と番号が振られ、人参やかぼちゃ、地瓜、キャベツ、香菜、エノキダケ、黒きくらげ、枸杞、干しエビ、お米、シママース、グアバの入った買い物用キャリーカートを私が引っ張り、母は豆腐、龍鬚菜、にんにく、豚肉の細切れの入ったエコバッグを抱えて、夜のキャンパスを、どこかの門がまだ開いていて、どこかにまだ家への近道が残っていないか、二人で歩いて回った。当然、正門以外の門はどれも工事用フェンスで塞がれていて、私たちが引き返してくるのを見ると、向こうから歩いてきた学生らしき若者たちもくるりと踵を返して引き返していった。まだ電気がついている校舎の上のほうから、上手に笛を練習している音が聴こえて、電気が消えたほうの校舎の入り口では揃いのTシャツでダンスを練習するグループがいて、閉店後のカフェの前のテーブルやベンチには、街灯の下で寄り添って座るカップルや、誰かと電話する人、一人で気功をしている女性なんかがいて、その横の歩道に大きなカタツムリが出てきたのを見つけて私が写真を撮っていると、母が「ここに変態がいたのよ。あんなの出して歩いて、気持ち悪い。せっかく散歩してたのに。ママあわてて警備員のところに行って『那邊有變態!』って言って、あれからこっちにも電気つけるようになったね」と言った。

 

外は雨が少し上がったみたい。相変わらず鳥の声と車の通る音がする。お昼ごはんの時間になったから、外にも人が溢れてくるだろう。